細胞たちのご主張

… 腹痛のため布団にへばりつく夜です。修論は無理くり出したゼ。ぐはー


さて、「3日坊主かも」と言いつつもそんなつもりはなかったのに、気がついたらひと月放置していたこのブログ…_(:3 」∠)_

書きたいことは山ほどあったのに、毎日寝落ちするほど忙しくしてしまっていました。

ようやくあれこれ落ち着いてきたので、先週末の演奏会について少し書きます。


fb上で何度かご案内しましたが、こちらの演奏会シリーズの運営をお手伝いさせて頂いてました。

http://www.music-dialogue.org

客席で聴いた前回の演奏会に魅せられて、またご縁もあって、微力ながらスタッフとして寄せてもらいました。

そして、関わるほどに、普段知り得ない世界を垣間見ることができ、刺激的で楽しかったのですが。

(アーティスト方の傍でサポートできること自体が喜びですが、異業種の同年代と集まれるし、京都のアッパークラスの方々etcと繋がりできたりするし)

ただ、仕事の合間を縫って活動するのはただでさえスタミナのない自分にとっては相当しんどいことでもあり。。

世界的なアーティストの集う舞台でMCをさせて頂くという畏れ多い機会を得ながらも、今回限りで運営は抜けさせてもらうのがよいかと、内心、思っていました(´Д` )


…ところが。

リハーサルを客席で聴いている時、しばらくぶりの感覚を体験してしまった…!

何かというと。


身体中の細胞がざわめくんですよね(笑)音楽のダイナミクスにあわせて。

比喩ではなく、文字通りざわざわします。頰にまで鳥肌が走っていって。

そして、反射的に涙が出てきて止まらなくなる(←せっかくMC用の化粧したのにw )。

 

感情が喚起されたわけじゃないから嬉しくも悲しくも、ましてや感極まってないのに、ただ涙が溢れる現象。…なんなんだ 笑


ただ、心よりももっと原始的な領域(安易に魂という言葉は使いたくありませんが、そのようなもの)が反応していることはわかりました。

太古の人類は感情を持たなかったと聞きます(「心」に該当する文字が遺跡から出てこない)。

おそらく、自分が古代人だったとしても、この演奏を聴いたら涙したのではないかと思いました。

美しいものに心打たれることは往々にしてありますが、心を介さずして深い癒しを受けるというのは不思議な体験ですね。


というわけで号泣して本番前にスッキリしちゃったのですが、このお蔭でMC緊張しないのではwと思ったら、ばっちりガチガチでした… ざんねん(T . T)


…とまあそれは置いといて、

思えば勤めだしてから、あれほど躍起になって練習していた楽器から離れ、聴くことすらずいぶん減ってなお、わりに無頓着でいられました。

楽器と音楽は幼い頃からあたり前にそばにありましたが、「好きなこと」、「娯楽」、「趣味」…どれにも該当しない気がしていて、なぜ自分は楽器を弾くのか、自問することもしばしばでした。


それでも今回、良い音を浴びたいというのはもはや生理的欲求だと再確認。細胞たちが「快」を訴えてきますからね。観念して志向するのが筋かなと思いました。

(そういえば、好きな人の声って身体に染み透るように感じる時があって、それに感覚似てますね!

あれも不思議現象ですが、声浴びてるだけで気持ちいいので、なんでもいいし適当に喋っといとくれってなります 笑)


結局音楽は自分にとって何っていまいち分かんないし追求するのも無意味かもしれないけれど、一生かけてでも知っていきたい謎、といま言うことに、嘘はなさそう。

あまりにも含まれている情報が多いので、それに耳を澄ませて聴き取りたい。

シリアスな曲だと人間の業なんかを描いてる感じがして、そうなるとこっちがタフでないとまともに向き合えないけどw(自我確立できてないと潰される感じ)

弾くのも聴くのも、総ての体験を通して、音世界の不思議を探求したいです。


そんなわけで、演奏会スタッフについても、楽器についても、懲りずに関わり続けていくのでしょう。

飽きる日が来るまでは。来ないかな 笑

そしてこれからも同志に恵まれたら嬉しいです(*^_^*)